階上からか、隣のテレビか、江守徹の錆びた声が途切れ途切れに耳に入る。恐らくは点っぱなしで眠り込んでしまったものだろう。陰々とした冬の暁、未だ明けやらずまだまだ永い帳の中、私は身支度を整えて明け放つのを待った。
江守の声はやはり春はあけぼの、東風駘蕩の春の風情が似つかわしい。この破天荒のアル中患者にこそ猛浩念は吟じさせるべきである。李白も杜甫もいいが、私が心底好きなのは陶淵明。「桃下源記」「帰去来の辞」「五柳先生伝」など、江守の朗読で聞いてみたいものである。
陶淵明は春秋戦国の老荘家。礼節を説いた孔子の一世代上の詩人である。孔子は「礼節の国を作りたい」と、士官を求めて諸国を行脚したが、彼ら老荘派はいっさいの猟官運動をしない。孔子は弟子の仕官はかなったもの結局自身はどこにも入れられず淋しく死んだ。半面竹林の賢人たちは、宰相の器でありながら野にあって在野を愛した。天然自然の人々である。
淵明も一度は請われて小さな県の役人になるものの、わずか数ヶ月でその職を辞している。在職中にしたことは自分の禄田に酒米を植えたことだけ、それほど酒を愛した。「帰去来の辞。田園将に荒れんとす、何ぞ帰らざる・・・」はその時の作と言われている。
淵明の姿勢、その理想は「五柳先生伝」に詠われている。私をそれを座右の銘にしているが、なかなか仙人にはなれそうにない。
ところで、本来漢詩は五言七言の最後に必ず韻を踏んでいる。音から来る余韻と詩句から汲み取る詩情を併せ鑑賞しなければならないのだが、中国語を解しない私にはこれができない。一度中国語で漢詩を聞いてみたいものである。
免許更新の帰路、吉田城に行ってみた。ここは池田輝政の築城と聞く。輝政は戦国武将だが、東軍であったか西軍であったか記憶にない。豊川が分岐するあたり小城が建っているが、いかにも近年の造営とわかるたたずまい、興が湧かず中には入らなかった。城域は広大で石畳にわずかに往事の面影をとどめている。前面は大河、背後に堀を回して守るに格好の地形である。
訪れる人はそう多くはない。市の中心部であるにしては清閑で木々も鬱蒼と茂っている。対岸の眺めは一幅の山水である。輝政もまたその後の守護大名も天守からこれを眺めて浩然の気を養ったであろう。
歩行者専用の橋を渡ると対岸の河川敷に菜の花が咲いていた。菜の花は本来菜種油の原料として栽培されていたものだが、最近寡聞にして作目としての菜種の栽培を聞かない。灯火用にしろ調理用にしろ最早不要の存在となったのだろう。
私の田舎では晩秋にまず麦を蒔き、次いでその畝間に菜種を植えた。この季節、頬かむりして麦を踏むのが子供の仕事だった。菜種の収穫が先であったか、麦の取入れが先であったかもう忘れてしまった。
そういえば「麦秋」という懐かしい季語も死語になって久しい。
hyipからの撤退完了。ついに持ち駒500ドル余りとなった。1500ドルの損失は必ず取り戻す。しばし休戦。
今は、http://www.917horsepower.com に100ドル
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しばらくはモニタリングに徹する。
寒さも峠を越えたのだろうか。なにやらほんわかと暖かい。今日明日休日で、免許の更新以外は何もすることがなく、日がな部屋に篭って無信と無礼をわびる書信をしたためた。
出郷して二年、出奔してやがて期年。安否を問う手紙が何通か回送されてきているが、不精の私は年に数度しかペンを取ることがない。現実の世界では私の交友は極く限られたものになっていて、ほんの一握りの友人しかいないのだが、それでもここ数年の来し方を記すのは一仕事である。書きながら「いろいろあったなぁ」と感傷に浸る。
現実世界というものはリセットが利かない。ずっとず〜と引きずっていかねばならない重たいものも含んでいる。こちらが土砂降りの雨でも、くるり回転ドアを一押しすれば一転「澄んだ青空」という劇的な変身はできない。負の遺産はとにかく背負っていく。仕方がない。
翻って仮想空間は変幻自在である。ここの住人は住所不定、氏名不詳である。其れゆえの身軽さがある。瞬時初期化で履歴を真っ白にすることができる。仮想空間を彷徨ってすでに10年が過ぎた。
一昨年、男女8人で2泊3日の旅をした。正確な居所も名前も知らない人とこれほど親しい付き合いができるのだから、人間というものは不思議なものである。
A男(山梨)D女夫妻(千葉)N女(静岡)Y女(熊本)S男(種)T男(種)私(鹿児島)互いにハンドルネームで呼び合う。ちなみに私の名前は「やかん」。楽しかった。
年に一度、どこかでオフ会をやっている。パソコンの電源を落として出かけるから「オフ会」、みんな素朴で良い人ばかりで「一年間のご無沙汰でした」と三々五々獲物をもってやってくる。
お互いそれぞれの重たいところには係わらない。それが長続きの秘訣なのかもしれない。
今日は菜の花マラソンの日。鹿児島のお天気は如何なものであろう。
娘が「走る」と掲示板に書いていた。「馬鹿なことを・・・」と諌めてはみたものの、私に似て言い出したら人の言うことなど聴く耳持たない性格からして、寒空の下よろけつつ走っていることだろう。
「九時号砲で、四時頃には完走する」と息巻いていたが、40キロは歩くことさえままならない距離だ。今頃路傍にへたり込んでいるに違いない。「途中で棄権してくれたらいいが」と私は多少はらはらした気持ちでいる。
何か心に期するものがあるのだろう。そういえば今年数えの三十。「一つの区切りではあるかも」と思いつつ、自分の来し方に想いを馳せた。
町の片隅に小さな印刷屋を開業したのがちょうど30歳の春である。長女は2歳あるいは3歳であったろう。家内はこの子を背負い、あるいは紐で柱に繋いで仕事をした。何とかかき集めた金が百万、それを見せ金にして設備はすべて手形で決済した。綱をわたるような危ういスタートだった。人が増え、工場が建ち、家が建った。そしてパソコンの普及とともに衰退の一途。この30年には私の栄枯盛衰が詰まっている。
及ばずといへども力尽くしたる子よ凛としてこの橋渡れ
年初から雲行きが怪しい。
バタバタバタといくつものオートサーフサイトが倒れ、元本の回収も困難になってきた。Hyip(high ierd investment program)の短期はもはや手がつけられない。昨年二月、巨星12dpへのFBIの強制捜査で激震が走ったが、今の状況はその再現を思わせる。stormpayの思わぬ背信と垂れ込みで20万人が虎の子を奪われた。私はあの時1000ドルほどの損失を出したが、懲りずに一年掛かりでこつこつ積み上げてきた。市場自体も特に米国市場は法的整合性を確実にして再出発したのである。それがこの始末だ。慨嘆する他はない。
もともとハイリスクハイリターンの(闇)市場である。欧米では、騙す方を問責するよりも「騙される方が悪い」とする風潮が強い。覚悟はしているものの、手痛い出血になりそうである。
今はどこも危ない。再投資は控えて、資金をe-goldに集め当分静観する。
一年の成果はパソコン二台、車一台(ポンコツ)現在は利潤で回しているから、翻って「この程度で済んだ」ことを喜ぶべきだろう。欲を言えば切りがない。
日はまた昇る。冬来たりなば春遠からじ・・・・・・。
行き処のない木枯らしは行き着く処まで行く他はない。
暦の上では新春だが、まだまだ春は遠い。山間部では雪の便りがちらほら聞かれるようになったが、今年はまだ雪を見ていない。昨年は鹿児島は度々の降雪に見舞われた。こちらは緯度はかなり高いのだが、未だ雪を見ないということは太平洋に近いことが一つの要因になっているのだろうか。一般に木枯らしは北風だが、こちらでは南東の海風が吹く。風は海からやってくる。
ところで「木枯らし」は「凩」と書くのが普通だが、私のパソコンはそれを表示しない。手書き変換でやっと入力した。
木枯らしも茫然自失になることがあるらしい。
海に出て凩帰る処なし 誓子
ん、これは木枯らしという字だよなぁ。「凪」じゃないもんな。
風が止むと書いて「なぎ」、風が木を吹きあおって枯らすから「こがらし」かな。
今日は初句が出てこない。昨年の掲示板から持ってきた。以下も昨年の記事。
人生50年、そのあたりが一つの節目であるようだ。
どんな破天荒な人でも、そのあたりで来し方行く末を見定めることになる。だいたいが身体的機能が漸次低下していくから自ずから老いを実感せざるをえない。
一番に、酒量が減る。むむむ、昔はビール10本屁でもなかったと思うころには、缶ビールせいぜい三本程度で眠くなる。酒の上での失敗は数知れず、周りにもだいぶ迷惑をかけたが、昨今酔っ払って我を忘れるということはないようだ。
最近は正体をなくすほど飲めない。悲しいことだ、老いは既に始まっている。さらには意識して足を上げて歩かないと蹴躓く。脳の指令が足まですっきり伝わっていないらしい。
思えば、父が脳卒中で昏倒したのが60歳前後、以来足が不自由だった。長兄は享年59と記憶している。次兄も60まで生き延びえなかった。そろそろだなぁと思う。
そろそろおさらばというわけではない。そろそろ気をつけねばならぬお年頃だと思う。今のところ特に気になる症状はない。
報道によれば、豊川稲荷の三が日の初詣客は百八万人。人口四万の過疎の島、一万八千の、市とは名ばかりの過疎の町から出て来た身には、空恐ろしい人の波である。この付近平地が多く、大都市がひしめいている。県庁所在地でもない浜松市が人口百万と聞いて、私は心底たまげてしまった。鹿児島市が町村合併で五十万に届くか届かないか微妙なところ、宮崎市に至っては三十万程度であろう。県規模でも地方の過と疎、国規模でも道州の過疎著しく、この国の均等な発展を阻害している。
それがどのような結果を招来するか私にはわからない。東京23区がどの程度の面積なのかわからないが、一方に千万、他の同面積の平地に四万ということは、至極困難な事態なのではなかろうか。
私はやっぱり田舎の人間で、人の波は苦手である。付き合いもへたくそで、他人と何らかの交渉の後は凄まじい疲労を覚える。やはり野中の一軒家が私に一番似合ったついの棲家であるようだ。
神頼みなどという風流なことを私はしたことがない。
初詣などという慣習はないのだが、同僚に請われて豊川稲荷に同道した。いわば足代わり、寝てばかりいても気が晴れないから車を出した。
日本というのは不思議な国だ。祭壇に神と仏が同居して、おまけに狐狸の類がうやうやしく祭られている。しかも何の不思議もなくキリストの生誕を祝って浮かれ出す。これには日ごろから「節操がない」と苦々しい思いを持っている。
しかしながら庶民のささやかな願いまで否定するつもりはない。
元日に日本全国の人々が寺や神社に繰り出す光景は、もはや運命共同体として民族の無意識行動にまで高まったものであろう。
警察官の規制の中、なかなか進まない行列にいらだちながら、「今日明日、この稲荷に何万の人が参拝して、その一人ひとりが投げ入れる賽銭の総額はいくらになるのだろう」と不謹慎なことを考えていた。
「坊主丸儲け」とはよく聞くが、寺も神社も税は免除されるから真に結構な商売である。坊主も神主も一度やったらやめられない。
「乞食」とは本来は仏教用語で、坊さんが檀家を回って施しを受けることを言う。正確には「こつじき」である。僧が修業のため、あるいは願成就を願って旅から旅へ乞食することを「行乞」という。
帰り道、路傍に笠をかぶった地蔵が立っていた。右手に尺丈、左手に鉢を持ち、佇む姿がみすぼらしい。もはや巡礼地や京都以外ではこのような姿をみかけることはないが、昔は方々でこれらの巡礼者をみかけたものであった。垢蒸した衣と無精ひげのその姿は子供心に恐ろしい存在に思えた。私がわがままを言う度に、母が「(もうらいもうそう)に連れていってもらう」と脅したのを思い出す。
いろいろな想いが交錯して掲出句となった。
付記
「もうらいもうそう」とは「貰い申そう」ではなかろうか?
記憶にないが、木戸に立ってそう呼ばわったものであろう。
読経はそう長いものではなかった。とすれば「般若心経」でも
あったろうか?
朝の来ない夜はない。夜の来ない朝もない。
地球の自転によって至極自然に夜が明け、新しい年が始まった。
やぁ、やるぞ!!!
やるぞ見ておれ、口には出さず・・・・・言う側からぼろぼろ零れる決意表明。やらねばならぬ。やらねばならぬのじゃ、妙心殿。
じぃはすでに齢57。60から始まる豊かな老後のために・・・・正月気分もそこそこに、スルメをかじりながらいそいそとパソコンに立ち向かうばんばんじぃであった。
現況可もなし不可もなし。そうかといって良もなし、だから優などあるはずなし。目出度いことなど更になし。
神さんに迷惑かけずに独立独歩できること、それさえあれば言うことなし。今日から寝正月が始まりました。
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