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還暦いよいよ下り坂
かぎりある命のかぎり蝉時雨
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春愁やどろどろどろと雷遠く

今日は3月4日。IDとパスワードを失念して10日間ログインできなかった。突然思い出してログイン、まだらボケが始まっているようだ。
外為市場まさかの大暴落! 二本損切りして3万円の損失。ビギナーズラックの1.2万円が吹っ飛んだ。まだ下がるか、ここで反転か、判断がつかない。NZ5000ドル二本、どうするどうなる・・・。
ん、これは季重なりだな。

姫椿ぽたり窓辺を驟雨去る

このブログ、旧来の知人には知らせていない。年が改まって新しい気持ちで再出発と発心し、気の向くまま思いつくまま脈絡無く書き継いで自己満足を得たい心算、「どうせまた三日坊主」と笑われるのを恐れて誰にも教えていない。独り言やらぼやきやら、愚にもつかぬことを書き散らし独り居の所在無さを埋めるのが所期の目的、それ以上ではない。
だから読んでくださる方がいるなど思案の外である。ところが履歴を見ると結構人の目に触れているようだ。簡単なプロフィールは記すべきだろう。
私の名前はやまとやかん、当年58歳、鹿児島県種子島生まれ。印刷工30年、倒産の後愛知県に単身出稼ぎ中。どうにか破産は免れたが、懐中一物なし家なき子。壮大なるゼロかサヨナラホームランか、一発逆転を夢見て奮戦中。よろしく。情報おくれ。。。

青嵐統べて集めて普門寺

二月中旬というのは、まだ寒さ厳しき折柄なのだが・・・・。
ぽかぽか陽気に誘われて、植物園に行ってきた。訪れる人も少ない植物園の片隅に梅一厘を求めたが、ここには梅はない。こちらは亜熱帯の産、亜熱帯ジャングルを見ても興は湧かない、そうそうに出てあちこちふらつく間に梅園に出くわした。楚々とした梅の花はいい。ちょうど今が満開だろうか。暦を見ると旧暦二月尽は四月中旬に相当するらしい。
西行法師が「如月も望月のころ」と詠んだのは、新暦四月朔日か。
先年家族で京都に遊んだが、四月初めが花は満開。祇園も、銀閣から南禅寺に至る哲学の小路もむせかえる花の香りの中にあった。
青嵐が吹き荒れて、三河もにわかに春めいてきた。58歳の春である。
帰りに般若心経の本を一冊。微入り細に入りこの経の解説がされている。仏心などいささかも無いが、私は般若心経だけは好きである。時に唱えて自ら納得する。色即是空空即是色、これは「人生万事塞翁が馬」ということではないか。敗れたものには心地よい。
人間それほど立派なものではない。すべて運命に委ねて初めて心の平穏は訪れる。
私は唯物論者で宗教にはあまり関心はないのだが、「大悪が中悪に、中悪が小悪に・・・」などという教義に接すると怒りを覚える。現世利益をいうところは多かれ少なかれそういうことをいう。
昨年苔寺拝観のおり、鈴虫寺というところに立ち寄った。ここの住職の説教がアンアン族に人気らしいが、まことにつまらんことをいう。禅宗の寺だが俗そのものだ。私はひっきりなしに訪れる男女に、「この寺入るべからず」という看板を掲げたい気分だった。
思いついたまま旧作を書いておく。どこにも保存していないのでこれが私の記録になろう。
 造反有利のるらんの旗を掲げし日ありこの街暮るる

どうしやうもない私が歩いてゐる(山頭火)

917ホースパワーとチタニウム・comが同一アドミンだということは知っていた。しかし12dailypro/swまでが姉妹サイトとは思っても見なかった。サーバタイムが同じく時差1時間。香港かあるいはシンガポールと睨んでいたが、3軒同時にダウンするとは想定外の成り行きだ。
917が200$、titanium 140$、12daily80$。霧散すれば後は無い。
何とか復活してくれないと、残りは様子見で張ってある4箇所、200$だけである。新しく資金を入れるつもりはないので、恐らくはこれにて撤退、やっぱり汗水垂らして稼いだ金はを手堅く積み上げていくのが最良の利殖であるようだ。為替も外貨も当分は円安基調、動けない。
一攫千金の夢はついえた。いっそ山頭火に倣って行乞僧になろうか。

独り開くもよし、飲んで開くもよし

筑前と肥後の翁の昔語り尽きずこれよりバスは九州

豊橋からJRで名古屋に出て高速バスに乗った。事前に調べたら飛行機や新幹線も早くて便利だが、運賃はバスがもっとも安い。加えて21時に出て翌朝8時博多着という発着時間の設定も気が利いている。ブルートレインが廃止となった今、旅の余韻を残しているのはこれしかないと思った。18時に二川を出て名古屋着19時、駅周辺をうろついた後、予定通り名鉄のハイウェイバスに乗り込んだ。
座席は八割方が埋まっている。男女ともカジュアルな出で立ちの客が多い。新幹線や飛行機がネクタイ族であふれているのに対して、こちらはノータイのブルーカラーが主流のようだ。熟年のカップルも多い。これは混み合う年末年始を避けて帰省する退職組か。層としては一段下、あまり豊かな暮らしぶりとは思えない(出稼ぎの私も勿論この一団に属する)。
バスの中ほどにトイレもあり、座席スペースはカーテンで区切られるので、他の客の視線も気にならない。発車そうそう、私の左隣の二人が話し始めた。真ん中は熊本、左端は博多の人らしい。熊本人は迷惑そうなのだが、気が弱いのかぴしりと相手を黙らせることができない。止まることを知らない博多の人の話は延々と続いた。私は関わっては一大事と狸眠りを決め込んだ。・・・・・・・・。
とここまで書いたところで、娘二人来訪。家内とばあちゃんは法事で朝早く出掛けた。息子はまだ眠りこけている。
さて、親子四人どこへ行こう。坊津、知覧、指宿、フラーワーセンターなどもよいなぁ。梅と早咲きの彼岸桜がよい香りを放っているだろう。
夕方は娘二人に靴を、家内に眼鏡を新調してもらうことになっている。
では行ってきます。中途半端ですみません。

秋桜咲かせて主無き苫家

旧作。何年前のことであったか。網を着けた竹ざおを杖に魚篭を腰にして、小さな川を遡ったことがある。概して古里は高い山がなく海までの距離も短いのでさほどの大河はないのだが、例に漏れず平凡な楚々とした(この表現おかしいか?)清流であった。
胸まで水に浸かり、背が立たないところは泳いで、滝をよじ登りとにかく上へ上へと進んでいった。途中まであった川筋の小径も途絶え、田畑もなくなり山はどんどん深くなる。どこに行き着くか皆目検討もつかないが、行き止まりならきびすを返して川を下ればよいだけのこと、さしたる不安もよぎらない。
突然開けた視界の先に一軒の廃屋が見えた。川からあがって近寄ってみると、瓦も被りとにかくも家の態をなしている。庭もあり生活のあとも残っている。しかし障子も襖も無残な姿を晒している。もう数年も人がいないのは歴然としていた。
私は縁に腰掛け、悠然と山を眺めて弁当を食った。草ぼうぼうの庭の片隅にコスモスが咲いている。この家の主が蒔いた種子が咲いてはこぼれ咲いてはこぼれて、主のない今も咲き継いでいる。愛でる者もないこの山奥に、移入種のコスモスが健気に生きていることに興をもった。侘びとも寂びとも軽みとも・・・違った何か。命の愛惜か。
手長えびは数匹しか得られなかったが、心がしっとりと洗われる一日だった。
私はあまり華やかな大輪の花は好きではない。これでもかこれでもかと他を圧して咲く姿には嫌悪さえ覚える。花は野に置け蓮華草、やはり日本古来の野草が私の心に訴えるものがあるようだ。コスモスは例外で、条件付でその存在を認めている。一面の密生でなく、淋しく二つ三つが秋風に揺れている程度がよろしい。
昨年七月、寮の小さな花壇に50円で売っていた少量のタネを播いた。今思えば味気ない花も紅葉もない暮らしに多少の彩が欲しかったのかもしれない。これがなかなか花をつけない。勢いよく伸びるにまかせたが、11月になっても花は咲かなかった。暮れにようやくぽつぽつと花が開き始めた。年が改まって色とりどり満艦飾の小さな花壇だけが明るい。
コスモスの花期は長い。春まで咲くつもりだろうか。

春立てり指折りて待つ帰省の日

私の古里では、立春にもなると連れ立って岩海苔取りに出かける。雪のない南の島も、厳冬のこの時期さすがに風は冷たいが、その風は春の息吹を含んでいる。この香り高い青海苔の澄し汁、豆腐と青海苔の味噌汁が食卓に上ると、春が現実のものとなる。
梅が開けば里山につわ蕗が芽生える。蕨もゼンマイも顔を出す。天然自然のものを季節季節に味わうことが過疎の島に暮す唯一の贅沢であるのだが・・・・。
今回は種子島まで足は延ばせない。家もなく、荒れ果てたこうばに印刷機械その他の残骸が錆び付いているだけ、春夏ならいざ知らずこの季節あの廃屋には泊まれない。

ところで最近は、採っていいものか捕ったらいけないのかを見分けるのが難しい。知らぬ土地でうっかり手を出すと手が後ろに回るかもしれない。強欲爺や毛チンポ婆ばかりでなく、森林監視員や資源監視員などいろいろな目が光っている。海のものでも山のものでも、無闇やたらに手を伸ばさない方が賢明である。
しかし貧しい片田舎の少年の脳裏には、「遊びとは採ることである」という鉄則が叩き込まれている。海に泳いでも山に登っても何か持ち帰ることを常に考えている。お上品な水泳や山登りはちっとも楽しくない。
困ったことになった。生きにくい世の中になったものだ。
嗚呼、昭和恋しや島恋し

帰りなむいざ冠雪の桜島

あはは。ま、これは座興、お遊びの一句です。
帰心矢の如し。女共が待つ鹿児島に木曜日帰ります。
蛙鳴きしきる頃に郷関を発して既に期年、しばしの小閑あってもよろしかろう。八百屋の浜ちゃん、一週間で舞い戻りますのでよろしく。
私の58歳の誕生日が1/23、末子の25歳の誕生日が2/10、彼のめでたい修士課程修了が重なりました。博士になれるかどうかまったくの未知数なれど、ひとまずは祝ってやらねばなりますまい。
上二人も大学院進学を望みましたが、仕事をつぶした段階で「無理!」と断念させました。末子だけが上二人の援助を得て今日迎えた修士学位記取得です。嗚呼、涙止みがたし。
故郷の親子女三人が私ども男二人を招いて祝宴を開こうという魂胆。これは取るものも取り合えず駆けつけねばなりますまい。併せてひととき我意を捨て居候の婿に還ります。いつかまたわが城を得ることあるやも知れず、その日まで感謝! 感謝!
もうないであろう相聞一首
 汝と我のつましき身過ぎ夜業果て出でたる肩に星明かりたり

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やまとやかん yakandesu@pure.ocn.ne.jp

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