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還暦いよいよ下り坂
かぎりある命のかぎり蝉時雨
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小春日を何事もなく何もせず

ずいぶんと寒くなってきた。南国鹿児島も朝晩は冷え込む。半袖で過ごしてきたが、もう掛け布団と靴下は欠かせない。
昨日休みのところ出勤して、夜は関西在住の姉が墓参りに来ていたので大いに飲んだ。今日は多少それが残っていて、寝たり起きたり何をするでもなく一日が過ぎた。休日に何かをする意欲が湧かない。「休日はあれもしたい。こうもしたい」と張り切っていたものだが、最近は家に引きこもって読書やネット三昧、体を動かすことが億劫になっている。明日は思い切って魚釣りにでも行ってみようかなどと思案している。
人間に躁と鬱の周期があるとすれば、私は今鬱の最中、何事にも面白みを感じない。健康面に問題なく何の不満もないのだが、何故か無感動になってしまった。ようやく稚気が消える年齢に差し掛かっているのか、それとも季節が冬眠を促すのか。「昔昔人間は鳥だったかも知れないよ」と言う歌があったが、それほど昔でなくても人は熊と同じく冬眠する動物であったはずである。日頃仕事で体は動かしているから、たまの休みぐらいは「ぐうたらぷ〜さん」でよろしかろう。そんなこんなでこのブログの更新も二週間ぶりである。
「春はあけぼの」ならぬ「冬はあけぼの」、私は清少納言のように朝早く起きて庭に降り立つ元気はない。布団の中でぐずぐず、うつらうつらする休日の朝が好きである。

「恋空」を見むと若きら語り居り我も亦「いちご白書」見しをば思ふ

キーワードランキングを見ると、「恋空」がこのところ一位を占めている。「恋空」とは変な言葉だ。ためしに広辞苑引いてみたが案の定…ない。映画のコメント欄を見ると「久しぶりに泣けた」とか「もう一回みたい」とか絶賛の声が並んでいる。まぁ、これも配給側の自作自演だろうが、仕入れた情報の限りでは「ラブストリー」であるらしい。
私はこのところ封切邦画はまったく見ていない。暇を持て余したら、yahooやOCNの無料動画、著作権切れの往年の名画を見ている。若い頃は結構映画館にも足を運んだが、その頃心躍らせた映画は今でも心に残っている。やはり名画というだけあって何度見ても見飽きない。西部劇やら巨匠(?名前は何だっけな)のサスペンスやら、中には一度も見ていない映画もあり、結構な退屈しのぎになる。
「恋空」は若い人の間で人気が高いらしい。
ところで「恋空」「恋空」と連発するのは訳がある。「恋空」がこのところランキング上位であるということはそれを探す人が多いということである。すなはちyahooやgooの検索エンジンで「恋空」の情報を求めてやまない人がいる。そこまで来て私ははたと思い当たった。
ブログで「恋空」を連発すれば、アクセス数一桁の我がばんばん爺ブログも当世一級の流行サイトに変身するのではなかろうか?攻撃に優る防御なし。失うものなど何もない。「よし、やってみるべ」かくてこの意味のない記事となった次第。
恋空が何であるか皆目わからない。恋空は恋空である。まぁ、とにかく変な言葉だ。それでもランキング一位なのである。
これぐらいでいいのかな。
明日が楽しみだ。アクセス解析で1000と出れば広告クリック率5パーセントと見て50クリック。にまにまにま。

返り花芽吹き待つ間ももどかしく

「うんにゃ、釣れんなぁ…。釣っても食わんがね」
一笑した顔が実にいい。男は顔に責任を待たねばならないなどと言うが、軽佻浮薄な浮ついた顔ではない。しっかりと年輪が刻まれた額の下にしっかりした意思を示す目があり鼻があり、口元の笑みはその篤実な歩みを語っていた。
「そうですかぁ。釣れんのですかぁ」
私はため息を一つ、それ以外に言い様のない返事である。
「釣っても食わない」のはよくわかる。私でも40万市民の糞尿が流れ込むこの湾の魚など食う気はない。先般沖永良部の海を見て感嘆した。限りなく透明に近いブルーとはこのことだと思った。10メートル20メートル下の珊瑚や砂地が透けてみえる。かつては日本中の海はそのような海水をたたえていたに相違ない。今は少なくとも市外から30キロは離れないと正常な魚のいる海とは思えない。
ならば「なぜ釣るのか」厳粛な食物連鎖の中でしか人間に殺傷は許されていない。
老人は私が側にいることなど忘れたように一心に海面に見入っている。時に竿をあげてまた投げる。単調な動作を飽きもせず続けている。
「そうですかぁ。釣れなくてもいいですかぁ」
老人は振り向いて目で笑った。
「そう……釣ることが目的じゃないからな」
では何のために…私は問いを飲み込んで仕事に戻った。
夕方帰り支度をするころには 老人の姿はなかった。その日の日課を消化し自転車に乗って家路を辿る老人の後姿が目に浮かんだ。
帰りの車中で彼の暮らしを思い描いた。
生活は中の上、年金暮らし。海辺のマンション、車は持たない。
同居の親族があるのだろうか?
子供や孫はいるのだろうか?
彼は孤独を憂えているだろうか?

ぽつねんと竿振る老い背冬隣り

海に面した鹿児島市は「東洋のナポリ」などと称されるが、前面の荒々しい桜島はさしずめボスビアス火山、数度の大噴火の爪あとは今でもその山肌に刻まれている。中腹から上は溶岩が剥き出しでところによっては海までせり出している、怒り狂った時の自然の猛威を目の前にして、初めて鹿児島を訪れた観光客は仰天して息を呑むらしい。実際これほど間近に活火山を望む都市は日本広しと言えども少ないだろう。最近は噴火の轟音を聞くこともなく、火山灰が空を昏くするほど降り注ぐこともないので気に留めることもないが、周期的には大噴火があってもおかしくない。明治、昭和に続く平成大噴火はナポリがそうであったように鹿児島の街を焼き尽くすかもしれない。
ところで鹿児島市は海に面しているので、港も広域である。市街地に沿って本港、南港、谷山港といくつもの港と岸壁をもっている。なかでも本港は北から桜島桟橋、北埠頭、南埠頭、高速船発着所、沖縄航路桟橋などがあり船の出入りももっとも激しい。
今日は北埠頭のボードウォーク(板歩きとでも解すべきか? 典型的な和製英語だと思うのだが…。木製遊歩道ならwalking board? board walking?かな)の維持管理作業。さほど大きな公園ではないが、水族館や桜島桟橋と隣接するので訪れる人は多い。道を尋ねられることもしばしばで、にわか市民の私はしどろもどろの受け答えをする。今日は薩摩義士の墓を聞かれて、南州公園を教えてしまった。あとで気付いたが後の祭り、引き返してきて怒鳴られるのではないかとヒヤヒヤした。
朝から一人の老人が糸を垂れていた。小奇麗な身なりで足腰もまだしっかりしている。ただし後姿に憂愁がただよっている。じっと海面を睨んで身動き一つしない。10時のお茶の時間も朝のままの姿格好で佇んでいた。昼休み。なにやら食べているところに「どうです? 釣れましたか?」と声を掛けた。前置きが長くなったので眠くなった。続きは「明日のココロだよ〜〜」

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やまとやかん yakandesu@pure.ocn.ne.jp

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