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還暦いよいよ下り坂
かぎりある命のかぎり蝉時雨
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我もまた縁無き衆生暮れてなほしょうしょうと雨じょうじょうと風

雨が降っている。断続的に振り継いでもう三日にはなるだろうか。
冬の雨は陰々として気が滅入る。昨年はほんとうに雨が少なかったので、これも異常気象かと戦々恐々としたものだが、今頃になって辻褄を合わせるかのように降っている。こうして終わってみれば年間降雨量は平年並みということになるのだろう。とすれば、この自然の摂理にただただ瞑目する外はない。
私は働き出ずる日に備えている。そわそわと落ち着かないのだが、充電期間と心得て終日家に篭って雨音を聞いている。雨降れば雨降る思い、風吹けば風吹く思い、来し方行く末を思って独り座っていると、あの時のあの友、その時のその人が懐かしい。その折々の喜怒哀楽も今になればすべて懐かしい。
いろいろなことがあって、いろいろな人がいて、いろいろな思いが交錯して、今ここにいる。
さて黄昏。これからもう一山越えるのか、それともここで草鞋を脱いでゆるりと休息するか迷うところだ。どちらにしろあの山は越えねばならない。だとすれば……。
一瞬一瞬が「選択」だ。サルトルは「これを呪われた自由」と言った。
いざ、アンガージュマン!

葬送の曲高らかに二月尽

何を「幸せ」とし何を「不幸」とするかは人によってさまざまであろうけれども、人生における禍福は相半ばする。すなわちプラスマイナス=ゼロというのが私の至った結論である。思い悩むこともなければ自惚れ自賛することもない、淡々とわが道を行けばよいと今の私は思う。
恥多い人生であったが、幸いに脳は自分に不都合なことは忘れたがる。思い出して顔が赤らむほどの記憶は残っていない。何は無くとも家族一統健康で恙無い日々を送っている。それ以上は望まない。
人がうらやむほどの財力を蓄えている人が家庭内暴力で苦しい日々を送っている。
尾羽打ち枯らして敗退した人が新しい職場で目を輝かして働いている。
不幸な結婚で涙も枯れた人が子供たちに支えられてボランティアに励んでいる。
見聞きしてきたものは、人生捨てたもんじゃないってこと。
「命だけは平等だ」と立派な御託を並べた馬鹿医者がいたが、人生いろいろあっても平等だ。
「天網かいかい粗にして漏らさず」とはそういうことだろう。
幸と不幸を均等に織り交ぜて丈夫な縄ができるのである。

教室に一輪挿しの花白し

40数年前、中学生のときはじめて作ったのが掲出句。なんとまぁ、直截にして胸を打つ、凛と張り詰めた冬の空気を伝える一句ではありませんか。わたしも昔はかように純真無垢な少年であったのです。「白し」ときっぱりと言い切るあたり、大人でもとてもまねできるものではありません。がはは。思い出すなぁ、ぽちぽちとニキビも顔を出し、多少は色気づいていたあの頃。恐らくは初恋などというものもこの前後のことではありますまいか。
何故覚えているかといえば、これが国語の先生に絶賛されたのです。一言一句おぼえています。
「すばらしい、すばらしい。実にすばらしい。あえて難点を言えばだねぇ、季語がないということだが……。いやいや、待てよ。季語はあるか。花は一般には桜を指すんだが、梅と考えれば立派な季題だ。情景はこうだ。寒い朝、教室の窓辺の竹筒に誰かが梅を一枝投げ入れた。ほのかに春の匂いがして、そこだけがボーっと明るくなっている。寒さに思わず手をこすっている君たちの姿が目に見えるようだ。そら恐ろしいね。君には才能があるよ」
どうです?この見事な褒め殺し。褒められたことなど一度もない私は糸の切れた凧のように舞い上がってしまいました。実際は生けられていたのは水仙でしたが、あれは梅の花だったんだと自分に納得させました。それ以来折に触れて句作に励んでいます。まぁ、言うならば下手の横好き、人様にお見せするような代物ではございませんが…。でもこの先生の一言が私の人生を変えたことは間違いない。
もう一度ありますよ。それは非行少年時代、停学中の私の家を訪れた担任が諭した言葉です。それはどうしようもない生徒を発奮させるための方便であったと後で気付くのですが……。
「○○よ。先生は悲しい。どうしてお前はそうなんだ。お父さんお母さんに申し訳ないと思わないのか。今度何かあったらお前は学校をやめねばならん。お前は何にも感じないだろうが、先生は悲しい。先生方はみんな言っている、あいつはいいものをもっていると。これは本人に言ってはならん決まりだが先生はあえて言う。お前は東大に入る頭をもっている。先生はこのままお前が中退するのを黙って見過ごすことができんのだ。発奮せい!高級官僚になって先生に会いに来い」
涙ながらの先生の口説に私は俄然燃えましたね。その結果は…惨澹たるものでしたが。そして先生の嘘に気付きました。私は今でも冗談で言うのです。「英語と数学と物理と化学さえよかったら俺は東大に入っていた」と。
昔は体罰もひどかったけど、こういう熱血教師がいっぱいいましたね。いつもは厳しいけれど、いざと言うときには目一杯褒める。そのような教育の職人がいた。まぁ、嘘はよくないと思いますけどね。
どうしてるかなぁ。もう亡くなったかな、山之口先生と小倉先生。

図書館の門閉ぢられて枯葉散る

幸いにしてこの歳まで「殺したい」「傷つけたい」と思うほどの憎しみをいだいたことはない。だが翻って「殺したい」と思われたことがなかったかといえば否と明確に言い切ることができない。あったかもしれない。いや、あったはずだ。今日まで生き残ることができたのは僥倖としか言いようが無い。往々にして人は意図せずして人を傷つけているのだから。
毎日毎日新聞を賑わす三面記事を見ていると、空恐ろしくなる。子が親を殺すにはそれなりの苦悩があったはずであり、殺すには至らなかった苦悩の数も計り知れないだろう。親子でさえ寄り添うことができないのにどうして他人同士の心が結ばれよう。意識が肉体に「つかされた」固有の意識であるかぎりこれは破れない壁である。
「内心の自由」という法理念がある。何を思おうともそのことによって処罰されるということはない。「殺してやりたい」と思うことは犯罪ではない。「殺してやりたい」と表出することもそれ自体は問われない。何らかの行動を起こしてはじめて殺人罪や同未遂罪の対象となる。人間は心は自由なのだ。何人もそれを裁くことはできない。
則を越えた人々、かろうじて則を越えなかった人々。明日はわが身だ。

時雨蕭々お湯しんしんと湧いてゐる

今日は椋鳩十文学館、鹿児島神宮、チェコ物産館を経て、空港で次女を下ろし、霧島の温泉に入って帰ってきた。夜は「篤姫」を見た。
椋鳩十は県外の人にはあまり知られていないと思うが、鹿児島では知らない人はいない。それは鹿児島では誰しも少年少女の時期にこの作家の動物物語の洗礼を受けるからで、私も子供のころ学校の図書館から繰り返し椋鳩十を借り出し、心躍らせた記憶がある。「片耳のオオシカ」などはお隣の屋久島のできごとと書かれていたので興味は募り、何度も読み返したものである。もちろんただそれだけの純真な少年ではなかったが(佐藤惣之助だったと思うが「アア玉杯に花受けて」などの青春小説、あるいはサンデー毎日連載のちょっと・・な小説なども盗み読みしていた)。私の自然観に多少なりとも一般と異なるところがあるとすれば、電気も満足に点かない片田舎で過ごした少年時代が大きく寄与している。それは椋鳩十の世界とも重なるのである。

私は神を認めない。この親からどうして心霊現象に怯え、「御神籤」や「御守り」に執着する子供が生ずるのか、曰く不可解。さりとて嘆くほどのことでもない。御神籤200円、御守り1000円、まぁ自分で稼いだ金で購うのだから何の文句も無い。せいぜい坊主や神主に儲けさせてやればよい。というわけで鹿児島神宮に関して何の感想も無い。

ところで「チェコスロバキア」という国は滅びて久しいのではないか?確か割れて粉と砕けたはず、チェコ政府公認、領事館付物産館とはこれ如何に? と思って館内のPCで調べてみた。あるある。チェコは現存する。二つに割れただけのようだ。あれおかしいなぁ、私はチェコという国はすでにないものと思っていた。まぁ、いいや、ビールを飲んで納得。実にうまいビールだった。パスポートあるわけだし死ぬまでに一度行ってみたいね。私の永年の朋輩アダストドミナント700XA半裁機はチェコ製、まんざら縁がないというわけでもない。ずいぶんと稼がせてもらったわけだからお返ししなくっちゃあ。実は私、世界の名機ハイデルベルグが欲しかった。しかし手が届かない。一歩譲ってドミナントというわけだ。とにかくドイツ東部の鋳鉄技術はすばらしい。叩いても蹴ってもびくともしない。動かしようがないほど重たいから種子島の工場で苔むしている。

霧島山に登って時雨そぼ降る中ご入浴。これがまた実によかった。感激ついでに名前書いておく。旅行人山荘、湯料500円は安い。霧の中の露天風呂は狭からず広からず、乳白色のお湯でお肌しっとり、思わず長湯してゆでだこになってしまった。
では一句申し上げます。ちんぽこもおそそも湧いてあふれる湯 山頭火

そして帰ってきてテレビをつけた。「篤姫」はお由羅騒動前後、斉彬社長就任まで…。私は怒っている。NHKさん、嘘はいけません!
城下士といえども西郷、大久保は下級武士、藩主縁族のお姫様と相見えるなど嘘も嘘、大嘘だぁあ。さらに今和泉家は指宿、大久保家は城下加治屋町、間に肝付家の喜入を挟んで10里は離れておるずらよ。お一が大久保家を訪問するなど、ありえな〜〜〜〜い。
んだもしたん、いけんなっちゃろかい。前後で脈絡無く調子もだいぶ変わったと思うが良しとするか。


失業す我と遊べや寒雀

「いやぁ、我々ではとてもとても…」などと丁重に送り出される。「そこをなんとか」といういとまもない。要するに「あなたではとても勤まりませんよ」ということなのである。印刷業30年のキャリアは邪魔にこそなれ、ものの役に立たない。何事もそれこそボタン一つで済む時代なのである。慣れた仕事に就きたいと思っていたが、高齢者向きの限られた職種の中から何とか勤まりそうな仕事を探して、ボツボツやらせてもらう以外に方法はないようだ。
それでいいと思う。今更もう一旗あげようなどとは思っていない。働いてもあと数年、それでも余命があるのなら、行政書士の看板かけて少ない年金もらいながら煙草屋でもやるか。それで土曜日曜に土いじり、どろんこ遊びができれば本望である。

ところで最近、このブログの閲覧者に多少の変化が生じている。グーグルやヤフーの検索ページから入ってくる人がいる。「肝付」「小松」「調所」「西郷」「大久保」などのキーワードで引っかかるようだ。不思議に思っていたのだが日曜日に大河ドラマを見ていて謎が解けた。
「篤姫」の幼時の遊び友達で「小松帯刀」が出てくる。西郷も大久保もいる。このドラマを見た人が調べているようなのである。う〜〜んとうなってしまった。

私は歴史ドラマの結構なファンなのだが、昨年の「風林火山」はほとんど見ていない。一度見て、勘助や信玄役の俳優のおうぎょうな身振り手振りにしらけてしまった。どうも歌舞伎役者などというものは演技が稚拙でよくない。嘘は嘘でも少しはほんとらしく演じるのが役者というものだろう。「篤姫」は滑り出しは「まぁまぁ」という処か。
篤姫が養女となった島津斉彬の陣屋は家から歩いて数分のところにある。今は天保山小学校になっている。ここから生家の和泉島津家の陣屋までは車で約50分。ここもまた商業高校と小学校の敷地になっている。どちらもかつては松籟の絶えない白砂青松の長閑な風景が拡がっていたのだろうが、今は国道沿いなので騒音姦しく昔日の面影はない。わずかに和泉陣屋の裏手に松林があって昔を伝えている。近年県内各地松くい虫が猛威を奮って松の大木はほとんど姿を消してしまった。一抱えはある松の大木が何本も残っているのはここだけである。

菜の花や人さまざまに走りゆく

長女が今年も菜の花マラソンを走るというので、行ってきた。出発地点より10数キロの池田湖の道の駅で待つことにした。ところが何千人もの人が思い思いの姿で通り過ぎていくのに、娘は待てど暮らせど現れない。ずいぶんと辛抱強く待ってみたが、ランナーもぽつりぽつりとなったところであきらめた。私は「どうせ半分から後のほうだろう」とたかを食っていたのだが、案に相違して私が到着する前に通り過ぎたらしい。ま、見て応援してどうというものでもない。家内がつきっきりだから私の応援を期待してもいまいし、こちらも気晴らし半分の出張だから気が楽である。
この頃めっぽう暖かく今日などは四月五月の陽気である。あちこちで梅が咲いている。沿道の菜の花は今が真っ盛りというところ、菜種の匂いが鼻を突く。これで「寒の戻り」があるのだろうかと心配になってくる。暖かいに越したことはないのだが、暖冬もここまで来ると「大丈夫かな」と首をかしげてしまう。せめて生きてるうちは天変地異がないほうがよい。死んだあとは野となれ山となれ。子孫のことまで心配してはおられない。
(従兄弟から電話があったので飲みにいくだ。続きは明日書くべよ〜〜)

芹薺、後は知らねど草の粥

せり、なずな、はこべ、はこべら……。確か「すずな、すずしろ」とも言ったような。
う〜〜ん、やっぱり野の七草を知らないでは済まされない。仕方がないから辞書を引いた。「せり、なずな、ごぎょう、はこべ、ほとけのざ、すずな、すずしろ」これで七草。
「芹」は川辺に生えている。「はこべ」はかつて芋やトウモロコシに混ぜて鶏の餌にしたからわかっている。さて「大根」はどれだったろう。こうして考えてみると、生まれついての百姓が野草の名前ももう忘れてしまっている。
子供の頃に木や草や生き物は見かけるごとにその名を教えてもらった。教えてくれるのは父であったり母であったり、兄であったりその他の大人であったりした。方言、地方名もかなりの数であったろうが、その大半はすでに記憶にない。木々や草花の名前もあらかた忘れてしまった。
私のその後の半生にこのような草花の名は必要ではなかった。同じくその効能や使い道も知らなくて困ることはなかった。杉と檜の区別がつけば立派な大人で通用した。例えば「杉」でさえあれば、それが「屋久杉」か「飫肥杉」か「地杉」かなど要らざる情報であったわけだ。
都市あるいは町の暮らしは便利で快適である。しかし私のような田舎生まれは不便不都合になにがしかの郷愁をもっている。このように化石燃料が逼迫し、反面で排出ガスの規制に目を白黒させるぐらいなら、電気やガスや水道を車を持つべきではなかった。懐かしく思い出すのは昭和40年ごろの農村風景である。
私はもう少ししたらまたあの懐かしい百姓に戻りたいと思っている。

冬帽や暁闇の南大門

コメントに足跡残されたHさん。お名前とご用件確かに承りましたが、アドレスがわからず返答のしようがありません。ここに記しておきたいと思います。
島津豊久公顕彰碑は旧永吉町(現日置市)にあります。
鹿児島市街からのルートは、谷山街道(国道225)を指宿方面に南下、途中で笹貫バイパスに入り旧吹上町(現日置市)に至る道を北上、さらに海に沿って薩摩湖まで。所要時間は1時間ほどと思います。お寺の名前は覚えておりません。
関が原後ほどなく佐土原に山口某なる城受取の使者が現れます。豊久遺臣は散り散りばらばらになってそれぞれのつてを辿って、十六外城に落ち延びました。もっとも大きな集団は豊久の養女を擁した一団で、永吉を領地として与えられ本拠としました。これが永吉島津家です。
あなた様の先祖と思われる忠直はその時すでに廃嫡、隠居していたと思われます。この折菱刈町本城に退きました。ここに隠居料名目の禄地があったからです。苗字はこれに由来します。地名は今も残っています。訪ねてみるのも一興かもしれません。
忠直、豊久の父は家久ですが、これは貴久の三男です。貴久には他に長男義久、次男義弘、四男歳久がおります。この時代薩摩はまさに戦国時代で、貴久が次々に周辺諸国を切り従えて薩摩大隈日向肥後に一大勢力を築き上げた、その先鋒が家久でした。秀吉の九州成敗で破れいち早く領地を安堵されましたが、それもつかのま不審の死を遂げています。裏切りと見た薩摩側に毒殺されたとも、いや、秀吉が屠ったとも言われますが真相は闇の中です。

鼻水や老いて涙の乾かざる

嬉しいと思っては泣き、哀しいと思っては泣き……。
若い頃は涙は禁物、あえて泣くまいと思っていた。最近は涙腺がだいぶゆるくなった。
かつて「クールな人が好きなの」という御託宣を賜り、泣くまい笑うまいと決意して三十年、幾山河越え去り来た私の現状は如何。

年初に当たり座右の銘を一幅。

五柳先生伝      陶淵明

先生は何許の人なるかを知らざるなり。またその姓字を詳かにせず。
宅邊に五柳樹有り。因て以て號と爲す。
閑靜にして言少なく、榮利を慕はず。
書を讀むを好めども、甚だしくは解するを求めず。
意に會ふこと有る毎に欣然として食を忘る。
性酒を嗜むも而して家貧にして恒には得ること能はず。
親舊其の此くの如きを知り、或は置酒して之を招きけば
飮に造らりて必ず盡し、期するは必ず醉ふに在り。
既に醉ひて退き曾て情を吝にせず。
環堵蕭然として風日を蔽らず。
短褐穿結箪瓢屡ば空しきも晏如たり。
常に文章を著し自ら娯しみ頗る己が志を示す。
得失を忘れ此を以て自ら終りぬ。

暗闇より起り来る霧笛新年だ

停電です、うちだけ!
暖房4機、風呂、台所、洗濯機、電子レンジなど同時に使ったようだ。
新年のご挨拶やら何やらだらだらと書いていたのが全部消えてしまった。
すっかりやる気をなくしてしまって、一言だけご挨拶申し上げます。
「新年おめでとうございます。 今年もぼつぼつと歩いて参りましょう」
明日から三日ほど留守します。
この時期北に向かうのは本意ではないが、連れていってもらう身は選択の余地がありません。

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やまとやかん yakandesu@pure.ocn.ne.jp

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