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親の子といはれて哀し蝦蟇の子は

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もともと焼酎が好きだったわけではない。あの独特な匂いも、何とも形容しがたい舌触りも嫌いだった。「焼酎食らぁ」だった父親のだらしない、情けない姿とも重なって、「俺は飲まない」と心に決めていた。洗礼は日本酒、ややあってウイスキー、その後はもっぱらビール党、つい最近までどうしても礼儀を欠くという場合しか口にしたことがなかった。
四、五年前、芋焼酎を造る酒造会社に半年ほど在籍した。営業と宣伝を担当したので「飲まない」というわけにはいかなくなった。人に勧めるからには「嫌い」では済まされない。
焼酎の歴史と製法も一から勉強した。朝四時から蔵に入り、仕込から蒸留まで一通り体験した。
その頃、酒税が上がって価格が跳ね上がったにもかかわらず、世を挙げて焼酎ブームでどの蔵も生産が追いつかなかった。私は東京大阪と在庫がない言い訳をするために駆け回った。増産に次ぐ増産で、一部では原料不足から輸入冷凍甘藷を使ったり、粗製濫造するなど問題も多かったはずだが、今はどうなのだろう。
おかげで焼酎の良さを知った私は、ときおり一人でちびりちびりやるようになった。一般にはお湯割が主流だが、私の場合はたいていがオンザロック、氷が解けるに従って少しずつ継ぎ足して時間をかけて飲む。

さて酒造会社勤務時代に仕入れた薀蓄。
鹿児島県大口市の郡山八幡神社の棟木に、永禄2年(1559年)に補修が行われた際に大工が残した「焼酎もおごってくれないけちな施主だ」という内容の落書きが残っていて、これが焼酎の飲用について日本国内に残存する最も古い文献だといわれている。また1549年に薩摩国に上陸した宣教師フランシスコ・ザビエルは、当時の日本人が蒸留酒を常飲していたことを記録に残している。このことから鹿児島ではすでに16世紀はじめに焼酎がさかんに飲まれていたことがわかる。だが当時まだ甘藷は日本に伝播していない。
1698年、当時種子島島主だった種子島久基が、琉球より甘藷をもらいうけ、種子島で栽培を始めたのが日本の甘藷栽培の始まりである。また1705年(1709年とするものもあり)、薩摩山川の前田利右衛門は船乗りとして琉球を訪れ甘藷を持ち帰り、近隣に広めてやがて薩摩藩全域で栽培されるようになった。その後青木昆陽が「甘藷記」を著して全国に普及せしめたことは歴史の教科書に詳しい。
久基の孫、久芳が「甘藷伝」を著し久基の功績を讃えているが、その中に「甘藷は…酎となり」の記述があり、この頃(18世紀半ば)すでに芋焼酎が製造されていたことがわかる。

その独特の匂いから都会ではあまり好まれなかった芋焼酎だが、近年製法の革新によって匂いを抑えることに成功し、また健康志向の高まりで焼酎が見直されていることなどから、女性にも人気の飲料に変身しつつある。
とまれ今夜も芋焼酎。飲むほどに酔うほどに眼は冴えてくる。

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