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雨あがる唐芋の花夕雀

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薩摩芋は、当地では唐芋(からいも)という。薩摩から来たから「さつまいも」で、唐から琉球を経て来たから「唐芋」である。薩摩語は何でもはしょる。「からいも」も「かいも」とつづめて「ら」ぬきで発音するところが多い。
もともとは南米の生まれのようだ。それがどのような経緯で中国に渡ったかは知らない。今の海南島に島流しになった男が許されて都に帰る時持ち帰ったということになっている。おりから唐は玄宗皇帝の治世、楊貴妃もこの芋を食ったであろうか。ならばおそらく「ぷぁ〜〜ん」と豪快な屁を放ったにちがいない。
この薩摩芋の花をご存知ない方も多いのではなかろうか。そう思って上に掲げた。常に咲くとは限らない。何かの拍子にちらほら花をつける。その機微についてはどなたかに講釈していただきたい。朝顔に似た薄紫の小さな花は優雅である。ひっそりと畑にある唐芋の花は姿形とも品よく、今美人画を抜け出したように可憐である。とてもあのごつごつ、まるまるの「芋だし芋」からは想像できない。
朝も晩も、おやつと言えば「からいも」で育った私は、もう飽きるほど食ったから食傷している。家人は「からいも」が送ってきたと大騒ぎしているが私は見向きもしない。一人孤高を守っている。最近は紫芋が人気の的らしい。アントシアニンがどうとかこうとか何とも姦しいことだ。あれはそれほど旨い芋ではないということを私は食わずして知っている。芋で旨いのは「ニンジン芋」、今は「安納芋」というらしい。これは収穫して軒に吊るし寒にあてると熟熟となり、煮ても焼いても頬っぺが落ちるほどの旨さである。しかしあれはあの時代であったからそのように思っただけで、この飽食の時代に通用するかどうか、保証の限りではない。
先々月、サトイモの草取りに行った沖永良部島で、腰まである雑草に埋もれて私は、父と母と三人で毎日通った唐芋畑の夏休みを思い出した。
朝早く出て日が暮れるまで、汗と泥にまみれて畝の間を這い回っても端から端までたどり着くのがやっとだった。だから三人で一日三本の畝の草取りが終わるのである。一反の畑の草取りに何日を要しただろう。気の遠くなるような作業だった。畑はあっちに一反、こっちに五畝と散らばっていて、毎年夏休みは稲刈りと唐芋の草取りに明け暮れた。私が唐芋を好まないのは、その恨みが今も残っているのであろうか。
今は植え付け前にマルチ被覆をする。遮光性の黒いビニール(ポリエステルかな?)ですっぽり畝を覆うので、唐芋の除草などという農作業はこの世から消えた。灼熱の太陽に晒された黒いビニールの下でどのようなことが起こっているか、それが良いことなのか悪いことなのかよくわからないが、とにかく百姓は除草という難儀な仕事から解放された。
私が農作業から離れていた30年の間に、農業は少なくとも90度転回した。大勢で二日も三日もかかった田植えや稲刈りがほんの数時間、収穫もすべて機械がする。省力化はすすみ大農業が増えた。土地は集積し農業人口は激減した。はたしてこれが最良の道か。
アメリカやブラジルなどの広大な大地で「草取りをする」という発想は最初からなかっただろう。東南アジアなどの農村風景を見ても「除草」の場面は見られない。とすると「除草」は日本固有の文化であったかもしれない。田にしろ畑にしろ除草の文化は消えた。
私に閑かな老後があるとしたら、鍬と腕だけで自給するだけの百姓をしたい。これはやはり私のロマン、消え去るものへのノスタルジアであろうか。

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